【百年の孤独】とチャップリン

“人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である”

喜劇王、チャールズ・チャップリンの言葉。

僕はこれが大好きだ。

絶望を肯定する力があるから。

どんな悲劇も帳消しにしてくれる。

10年ほど前、「百年の孤独」を読みながら、この言葉を思い出していた。

当時、仕事がとても忙しかった。

拠点の責任者に任命されからだ。

多岐にわたる業務を、限られた時間内で処理しなければならない。

目の回るような日々だった。

自覚はなかったのだが、鬱になりかかっていたのかもしれない。

そんなとき、現実逃避をするために手に取った本がこれだ。

仕事以外に没頭できる何かを、このときの僕は強く欲していた。

本を読む時間を捻出することは難しかったが、隙間時間を見つけては貪るように読んだ。

この物語が描くもの。

それは“命の連鎖”だ。

出逢って別れて。

生まれて死んで。

ある一族が、それを延々と、粛々と繰り返すだけの物語。

別れや死については、それらのほとんどが悲しく描かれている。

しかし、物語という総体で見ると、どこか愉快だ。

チャップリンの言う通り。

個別の悲劇は、総体としての喜劇。

そして、それは僕にも当てはまると気づいた。

仕事での疲弊という痛みは、ただイベントだ。

人生という喜劇を彩る、一つの悲劇に過ぎない。

それから僕は、できるだけ“ヘラヘラ”働くようになった。

いずれ喜劇の一部となるものに、殺されるわけないからだ。

同じことが、もっと大きな枠組みにも当てはまる。

会社、国、世界。

浮き沈みを繰り返しながら、みんな喜劇を演じているのだろうな、思う。

それでも僕は、「悲劇なんて無価値だ」とは思わない。

反動がなきゃ跳べない。

喜劇にするために、悲劇が必要なんだ。

これからも僕は、細々とした悲劇をヘラヘラ楽しもうと思う。

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