運動が嫌いだ。
汗をかいたり息が上がったり、とにかく疲れること全般が大嫌い。
小学生の頃から、体育の通信簿はずっと「1」。
嫌いだから苦手なのは当然だ。
そして苦手だからもっと嫌いになる。
特に嫌いな種目は長距離走。
正月の駅伝をテレビで見ながら、いつも思っていた。
「駅伝ランナーなのてのは皆、違う星からやって来たに違いない。
疲れることが大好きなドM星人なのだ。」
そんな考えのまま大人になった僕は、ある日一冊の本に出逢う。
【BORN TO RUN 走るためにうまれた】
“走ること”に興味があったわけではない。
“走る人たちの生態”に興味があった。
なぜ彼らは、好き好んで疲れることをするのだろうか。
「異星人だから」と割り切るのは簡単だが、それでは早計な気もする。
何かしら愉快な理由があるのかもしれない。
暇を持て余した僕は、異星人たちの生態調査を開始する。
そして、今ではすっかり異星人の一員となった。
経緯を以下に綴ろう。
本を読み進める中で、気になる一文があった。
「人は走りながら進化してきた」という旨の記述だ。
太古の昔から、
人類は獲物を捕らえるために走り、
天敵から逃げるために走ってきた。
なるほど。
生き残るためには走る必要があったと。
もしかして、縄張りを広げる為にも走ったのかな。
急速に生息範囲を広げられた理由はそれかもしれない。
そうなると、本当に走ることが人類の進化に寄与したことになる。
これはなかなか興味深い。
もしかして、僕も走ることで進化できるのではないか。
そこで、人類の進化を自分に置き換えてみた。
・獲物→いません。
・天敵→いません。
・縄張り→12畳の1Rを猫と共有中。
だめだ。
進化の伸びしろがなさすぎる。
まぁいい。ものは試しだ。
とりあえず走ってみよう。
作中に登場したベアフットシューズをAmazonで購入。
翌日に届いたそれを履き、家の周りを小走りで徘徊し始める。
しかし、疲れるのが大嫌いな僕だ。
疲労を感じるとすぐに走るのをやめて回れ右。
歩いて帰宅。
そんなことを、とりあえず1週間続けた。
次第に、疲れるまでの距離が長くなっていく。
回れ右をして家に帰る道中、時間が惜しくて走るようになった。
あるとき、走ることが苦ではなくなっている自分に気づく。
ただひとつ、問題があった。
暑いのだ。
当時は4月。
暖かな春の陽気、どころではない。
地球温暖化の深刻さを、走ることで痛感させられるとは。
そこで、効果的な暑さ対策を思い付いた。
“日が昇る前に走り切る”だ。
僕は早起きをして走ることにした。
走ることを習慣にして3か月が経つ頃、
僕の朝ルーティンは
〈3時30分起床→20kmランニング〉
となっていた。
はじめは、異星人の生態調査だったはずだ。
次に、人類の進化を体感したくなる。
そして進化の結果、僕はめでたく異星人となった。
「ミイラとりがミイラになる」を地でいくことになるとは。
でも後悔はしていない。
なぜなら、走ることには明らかなメリットがあるからだ。
ひとつは、“ストレス耐性”。
もうひとつは、“フィジカルな自己理解だ”。
まず、ストレス耐性について説明。
多くの人は、短期的なストレスには程度耐えられる。
しかし、持続的なストレスには弱いと思う。
例えば、苦手な上司や同僚。
彼らと常に同じ空間を共有することは、持続するストレスと言える。
これは本当に厄介だ。
コップに水が少しずつたまるように、少しずつ僕らの身心を蝕む。
そうして、水が溢れた人間は“鬱”と診断される。
走るという行為は、コップの容量を増やしてくれるのだ。
ランニング中、身体には一定の負荷が加わり続ける。
それは持続するストレスだ。
疲れて立ち止まろうかと思うことは何度もある。
それでも、
「もうちょっといけるな。あともうちょっと。」
と、ストレスをなだめすかしながら足を動かす。
そうやって、毎朝20kmを完走する。
走り続けることの辛さに比べたら、他者に与えられるストレスなんてどうってことない。
「走りきった僕なら乗り切れる」
そう思えるのだ。
次に、フィジカルな自己理解について。
走り始めて4か月頃、足の甲が痛み始めた。
ぶつけたわけでもなく、捻ったわけでもない。
理由が思い当たらなかった僕は、知人に相談した。
すると
「走りすぎだ馬鹿。頭おかしいのか。」
という、非常に的確なアドバイスをくれた。
身体の相談をしたのに、頭の心配までしてくれるなんて。
親切な知人がいてよかった。
素直な僕は、走る距離と頻度を調整することにした。
まず、距離を10kmに短縮。
そして、頻度は週2回(休日のみ)とした。
様々な距離と頻度を試してみたが、この塩梅が最もしっくりくる。
多くの人は、自分の身体的な限界値を把握していない。
そして、把握しないまま無理をして怪我をする。
走ることは、自分のフィジカルを正しく認識する作業だ。
身体に負荷を加えることで、怪我をすることもあるだろう。
それでも治れば何も問題ない。
“越えたらマズい一線”を知ることができるからだ。
ただ、その一線を知ることには、しばしば痛みが伴う。
なかなか厄介だ。
一線を越えるとしても、“戻れる越え方”をしたいと願う。
以上が、僕が異星人になるまでの経緯だ。
近年、健康に対する意識は世界的に高まりつつある。
近所でも走っている人をよく見かけるようになった。
前からいたのか、それとも僕が走り始めたから意識するようになったのか。
それはわからない。
確実に言えることは、
“異星人はどんどん増殖する”ということ。
この星を占領する日も近いだろう。
地球の覇権は我々のものだ。
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