【夏物語】とアンフェアネス

僕の職場は女性が多い。

大半は既婚者だ。

僕は彼女たちを“超人”だと思っている。

何故か。

理由は、その業務領域の広さだ。

女性ならではの細やかな配慮がないと、僕の職場は回らない。

今まで幾度となく、彼女たちに助けられてきた。

それでいて、家事や育児など、日々の細々とした雑事までパワフルにこなしている。

僕は自分の世話をしながら働くだけで毎日ヘトヘトなのに。

女性のマルチタスク能力には、本当に舌を巻く。

僕はフェミニストではない。

それでも「女性には敵わないな」と痛感する場面は多い。

職場だけではなく、もっと重要な仕事においても。

それは “命を繋ぐ” という大仕事だ。

「命は母と娘が繋ぐもの。

 男はただ、彼女たちの周りをウロウロする衛星のようなものだ。」

色川武大さんの著書に、このような旨の記述があった。

僕はこの考えに同意だ。

子どもをつくり、育てるという仕事において、男性の業務領域は限定的だと思う。

種を提供し、食料を持ち帰る。

大昔から基本的にはこれだけだろう。

一方で女性の負担は大きい。

妊娠、出産、育児。

並行して働きに出る女性も増えた。

もちろん、家事と育児に協力する男性も一定数いる。

それでも家庭内という領域においては、女性の方が負担は大きいと思う。

男女間のアンフェアネス。

僕が結婚と子作りに意欲的になれない理由のひとつがこれだ。

アンフェアネスはもうひとつある。

それは大人と子どもの間に横たわっている。

“自己決定権” だ。

大人にはそれがある。

子どもをつくり、生むということにおいて。

でも、子どもにはない。

望む望まざるに関わらず、生まれてくる。

幸せな人生を享受できるかどうかは環境次第だ。

川上未映子さんの【夏物語】

僕が全ての大人に読んでほしいと願う本。

作中に登場人物が、以下のような旨の台詞を口にする。

“子どもを生むことは親のエゴであり、身勝手な賭けだ。”

極端な考えかもしれない。

それでも、全面的に同意する。

僕は子どもが嫌いなわけではない。

「子どもなんて生まれるべきではない」とも決して思わない。

実際、姪っ子はとても可愛い。

それでも、自分の子どもをつくろうとは思わない。

もしも何かの間違いで、僕に子どもができたとする。

彼(彼女)を幸せにするために、きっと全力を尽くすと思う。

それでも不幸にしてしまう可能性はある。

僕は自分の子どもに、たとえ1%でもそれを背負ってほしくない。

だから子どもはつくらない。

この考えが正解だと思わない。

でも、「そもそも正解ってなんだよ」とも思う。

【夏物語】を読むことで、それについて考える契機をもらった。

そしてますます分からなくなった。

だから、自分が納得できる正解を選び取るしかない。

僕が選んだ正解は前述したものだ。

もしも別の何処かに別の僕がいたら、また違った正解を導き出したかもしれない。

その僕はきっと、アンフェアネスを受け入れるだけの器を持っているのだろう。

そして、自分と世界を肯定的に捉えているのだろう。

でも、これを書いている僕はそうじゃない。

幸福の可能性を願うよりも、不幸が生まれないように願う僕だ。

自分と誰かの不幸を増やさないよう生きる。

毎日ヘトヘトだけど、できるだけそうありたい。

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